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知識検定 News

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2017年5月吉日
野球知識検定実行委員会


『波乱含みの大リーグ第1号 マッシー村上』
           

1964年秋、日本は初めて開催するオリンピックに沸き返っていた。その年のプロ野球は、セ・リーグ阪神、パ・リーグ南海の日本シリーズで南海が日本一に輝いた。

その南海は、その年の3月に「野球留学」という形で自軍の若手選手をアメリカに派遣していた。その中の一人が村上雅則だった。村上は、1Aフレズノに所属し主にクローザーで活躍した。

8月末、メジャーの枠が25人から40人に増員されることで思いがけずメジャーへ昇格、サンフランシスコ・ジャイアンツの一員となった。そして、9月1日のメッツ戦、8回裏に登板し1安打されるも0点に抑えた。

日本人初のメジャーリーガー誕生の瞬間だった。

64年は、1勝1S、防御率1.80という成績だった。その翌年は、サンフランシスコ・ジャイアンツと南海との二重契約問題でごたごたしたものの、結局5月に再渡米、4勝1敗8S、防御率3.75の成績を残した。

結局、村上のメジャー生活は2年で終わった。その30年後の95年に野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースに所属するまで日本人メジャーリーガーは、生まれなかった。

現在、イチロー、青木、ダルビッシュ、田中、岩隈、前田、上原、田澤の8名が現役選手としてメジャーリーグに所属している。歴代では、村上を含めて47人のメジャーリーガーが誕生した。

今でこそ、衛星中継でメジャーリーグのプレーを間近に見ることができるが、村上がプレーした時代は、50年以上前のこと。なにせ、同僚にウイリー・メイズがおり、村上が日本人初安打を放った投手が、サンデー・コーファックス。もはや伝説となった選手と一緒にプレーしていたことになる。

今回、初めて野球知識検定の検定官としてその当時のことを語っていただけると思うけれど、村上がプレーした1965年当時の大リーグの選手を予備知識として持ち合わせると、話が身近に感じられることと思う。ぜひ、楽しみにしていただければと思う。



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